僕たちの時代のネットワーク・クロニクル(まとめのようなもの)

Takas2008-03-31

6回に渡り、僕たちの世代が経験してきたネットワークの変遷について考察を述べて来た。最終回であるこの回では、それら全てを踏まえ、僕なりの結論を取り纏めることにする。
 
ネットワークの変遷を総括すると、第6回において語ったWEB2.0を除き、1つの傾向が見える。すなわち、衆から個への、公から私への変遷。少なくとも21世紀の初頭までの間、ネットワーク・リンクが辿った道は「網の拡大」であったにもかかわらず、最終的なノードたる人間が求めたものは、他ならぬ「個との繋がり」であったということ。
ノードはネットワークのどこかに存在する個を求め、またその範囲の限定に終始した。プライベートをパーソナルに、タイムラグをリアルタイムに、音声をテキストに、プロトコルを集約した。
 
今や当然のことになりすぎたあまり、死語になった「核家族」という言葉がある。現在は「核個人」の時代なのではないかと思うことがある。「隣は何をする人ぞ」ではないけれども、「わかる人以外のことは分からない」というのが現代に生きる僕たちの置かれている状況だ。文脈の中で生きていける人であればまだしも、メールというプロトコルに終始し、フィジカルな接触(やらしいものもやらしくないものも含む)を怠ってしまった結果、繋がっているようで繋がっていない。長い時間と労力を掛けて僕たちが発見したのは、結局のところ「我々は孤独なのだ」という事実なのかもしれない。
 
WEB2.0の齎した「世界との接続」はだからこそ、時代の求めた必然だったのではないか。個々の繋がりでは満たされない心が、新たな繋がりを求めているのではないか。ブログやmixiに代表されるSNSの隆盛を見て今、僕はそんなことを考えている。
 
 
電子ネットワークはだから、まだ発展途上の真っ只中にある。真に繋がりたいものを、まだ電子ネットワークは繋いでいない。電子的なネットワークを通過するパケットの中に、もっとフィジカルなエモーショナルなモノが格納されるようになった時、電子ネットワークは、真に人と人を繋ぐネットワークとなる。人々は孤独を感じることなく人生を歩むことができるようになる。そんな気がしてならない。です。
 

まとめ。
ネットワークは未だ発展途上にあり、まだ人々の隙間を埋めるには至っていない。
いまでも十分すごいけどね。

 
そんなわけで今のところ、僕が知りうる中で最も通過情報量の多いネットワーク・リンクは・・・うーん、恥ずかしくて人には言えない。