それでも風のように

Takas2007-12-27

音楽は人の人生を豊かにするための十分条件やないかと思います。
 
音楽があれば、人の人生が必ず豊かになるとは思えないけれども、仮にその人の人生が豊かであるとするなら、その人が自分の人生を豊かであると感じられるのであれば、そこには多かれ少なかれ音楽の介在があるのではないかと思います。
 
小田和正がこんな曲を歌っています。
長いのですが、引用しましょう。

緑に輝く はるか遠い日々
いつでも風のように
うたが流れてた
 
ことばの意味さえ
分からないまゝに
 
覚えた そのうた
口ずさんでいた
 
わけもなく ひとり寂しい時
そのうたをうたえば
 
哀しみは いつのまにか
消えていった
 
出会いも別れも 知らぬまゝに
流れるうたを きいていた
 
なぐさめられて ばけまされて
そして夢をみた
 
 
やがて時はすぎ
人も去りゆけば
 
いつしか すべてのこと
忘れられてゆく
 
でも そのうたをきけば
淡い想いが 小さな出来事が
 
あざやかに よみがえる
なつかしく
 
あの夏の空 きらめく海も
忘れかけてた 青い恋も
 
そして いちずにときめく心も
明日のことのように
 
出会いも別れも 知らぬまゝに
流れるうたを きいていた
 
なぐさめられて ばけまされて
そして夢をみた
 
面影さえ もう
残らない この街
 
それでも風のように
うたが流れてる
 
風のようにうたが流れていた』(作詞・作曲:小田和正)

 
人と人との出会いは。
あるとき、ある瞬間、夏の夜の線香花火のように燃え上がり、そしてたいていの場合、燃え盛り続けることもなく散っていきます。或いは、その炎は種火となって残っていくかもしれない。でも、その光はあたかも夏の夜の蚊取線香のような輝きしか放たないかもしれない。
 
歌が僕たちにとって大切な存在なのは、たぶん歌が人と人とが出会った線香花火の瞬間を記憶しているからだと思います。ことばでは語ることの叶わないことばで語り合うことのできた瞬間を、歌はしっかりと吸収し、然るべき時が訪れれば、その潤いを僕たちに返してくれる。
 
大好きだったはがの曲が全く聴けなくなる時期があります。
それはきっと、その時の自分にとって、その潤いを返してもらうべき時期ではないからなのだと思います。
 
 
時を越えて聴き続けることのできる曲に出会えることも、そのことをためらうことなく語りあえる人と出会えることも、紛れもなくしあわせなことですね。2007年は、そんな人に出会えた年です。だから、仕事がキュウキュウに詰まっていたとしても、わりと心安らかに過ごすことができているのです。
 
感謝しています。