僕たちの時代のネットワーク・クロニクル(その6:インターネット開放地(WEB2.0))

Takas2008-03-29

WEB2.0というキーワードがある。
そのキーワードの本質は曖昧模糊としていて、たぶん遠い未来にそのムーブメントがすっかり定着した後で、偉い学者先生がきちんと定義づけをすることだろうとは思うのだけれども、少なくとも今はそのムーブメントの真っ只中にあり、未だにその全容を識るものはいない。
 
個人的に、WEB2.0の本質というか真価は、インターネットという世界を個人のために開放したことにあると思っている。
 
例えば、WEB2.0の目玉商品が、このブログというシステム。
インターネット黎明期における最大の課題であった(と言っても過言ではない)、「INPUTと比較して、極端にOUTPUTが困難」というインターフェースを、WEB2.0と呼ばれる曖昧で不可解な存在が、1つずつ1つずつ解決していった。インターネットという物理レイヤーに搭載されていたHTMLをはじめとした(誤解を恐れずに言えば)原始的なレイヤーに対し、一段階ないし二段階上のユーザインターフェースレイヤーが搭載された。
結果、詳しい知識も煩わしい処理もなく、人々は世界に向けて情報を発信することが可能となった。そのメッセージが万人にとって意味があるか、有用であるかという問題はこの場合、大した問題ではない。「望めば、個人が世界に向けて情報を発信できる」という事実自体に大きなインテグレーションが潜んでいたのだ。
 
WEB2.0登場の前に、一個人が全世界に向けて情報を発信できるようなインフラは存在しなかった。もちろん、相応の時間とコストを割けば可能であったわけだが、そこまでして発信すべき情報を個人が持っていないのも事実で、それ以前にそれ自体に大抵の一個人は魅力を感じていなかったと思う。
特定のページからデータを入力すれば、またはメールを送信すれば、簡単に情報を発信できる。しかも、コストは大抵の場合通信料のみ。こういった敷居の低さも手伝い、WEB2.0は急激に発展した。思いの外、情報を発信したがっている個人は世の中に存在していた。世のマーケティング・リサーチャー達は、これほどの情報発信ニーズが個人に存在しているなんて、たぶん想像もしていなかったんじゃないだろうか。
 
とにもかくにも世の中には情報発信者が急激に増大し、そしてその中の一部は、新たなマーケティングの方程式に則り、おそらく自分自身も想像していなかった成功をおさめた。WEB2.0により、今まで想像もしなかったような成功者が誕生するようになったわけだ。
 
そのようなレアケースはともかく、大多数の個人にとっても、WEB2.0は自分を発信するための解放された場所であり、ある種の自己実現の場であることは間違いないだろう。そこに求められているのが、「誰かにとって有用な情報」ではなく、「自分にとって有用な情報」であることからも、そのことが伺える。
 
もちろん、「自分にとって有用な情報」が、「誰かにとっても有用な情報」であるとすれば、それはWEB2.0の齎した「付帯的であるが幸福な機能」と言えるのではないだろうか。
 

今日の結論。
WEB2.0により、個人は世界に向けて情報を発信するためのツールを手に入れた。