僕たちの時代のネットワーク・クロニクル(その5:携帯電話とインターネットの融合)

Takas2008-03-28

社会人になって何年目かに、『i−mode』という聞きなれない用語が巷間に氾濫した。携帯電話とインターネットが融合した、記念すべき瞬間である。
 
今でも一部に制限があると聞いているが*1、一度に256バイトしか送信できない電子メールに、当初僕は殆ど魅力を感じなかった。携帯電話にインターネットの機能なんて不要だ、と思っていた。だから、IDO(今のau)にEZ-WEBのサービスが搭載された当初も、「まーどーでもいいわいね」と思っていた。
つまりこの当初、僕はこのネットワークが持つ本当の意味に、恥ずかしながら気づいていなかったのだ。
 
世の中に急速にインターネット、そして携帯電話が発展していくにつれ、携帯電話でメールが送受信可能であるという状況が、人のコミュニケーションに大きな影響を持つようになる。今まで受信ボックスにアクセスするまで取得できなかったメールが、リアルタイムで送信されるようになったのだ。
インターネット黎明期、その「即時性の薄いところ」が魅力であった電子メールのシステムが、これにより大きく変遷した。携帯電話により変遷した人のネットワーク、つまり「音声通信によるネットワーク」が、携帯メールの登場により「文章通信によるネットワーク」に変遷した。
人は巷間で声を発することなく通信が可能となり、また同時に多数の人と通信が可能となった。
 
これは、言うまでもなく大きな深化であったと思う。
 
世の中には、文章でしか伝わらない類のメッセージが確かに存在していて、それをリアルタイムで伝達しあうことにより、人と人との関係は、急激に親密になったりする。
人々が携帯メールを保持することにより、そのような「幸せなプライベート通信」が随所に発生した。実際、僕も幾つもの「幸せなプライベート通信」を経験したし、それは取りも直さず携帯電話の存在に起因するものであると思っている。
 
そう言ったわけで、僕は携帯電話という無機質でちっぽけな携帯端末に、今でもなお頭が上がらない。
 
今日の結論。

携帯メールは、人々に「幸せなプライベート通信」を齎した。

*1:なにぶん、docomoの携帯は使用したことがないのでよくわからん