クォーツ時計

クォーツ時計はある朝目覚めると、
突然死んでいることが短所だという
文章を読んだことがある。
 
アナログ時計は、
いつもねじを巻く必要があるから、
めんどくさいけれども、
突然死ぬことはない。
 
最近は機微情報だの何だのと、
社会を萎縮させてしまう制約が多い。
でも、良きにつけ悪きにつけ、
完全にシャットアウトしたらいけない
そんな類の情報もあるんじゃないか?
 
昨日、自分の会社の先輩が亡くなった。
それほど親しかったわけでもないが、
なにぶん小さい会社なだけに、
それなりには繋がりのあった方だ。
結婚式にだって来てもらった。
ある日突然、なんの説明もなく
長期休業に入った彼の
訃報を聞くまで、
彼が亡くなる可能性について
全く考えていなかった。
だから、
彼を励ますことすらもできなかった。
 
 
いつからだろう。
こんなつまらない、
くだらない社会になったのは。
個人情報の漏洩に萎縮して、
近しい人にお別れもできないのなら、
そんな個人情報はいっそ、
犬にでも食わせてしまえばいい。
 
人間はクォーツ時計ではない。
それがこの文章のテーマだ。
 
久しぶりに、真剣に腹を立てている。
会社ではなく、社会に。