年賀状クロニクル

自分で言うのもなんだけど、我が家の年賀状は結構評判が良い。大体が毎年結構な費用と労力を費やしているわけで、多少受けてもらわないとこちらも困るのだけれどもね。
それにしてもこの頃では少々プレッシャーを感じる程度には評判が良く、中には「我が家は喪中だけれども、あんたんとこの年賀状は受け付ける」などという脅迫まがいの発言が飛び交う始末。そんなこと言われたら、切りたくても切れないじゃんか。
 
年賀状って結構難しい。子どもがいない時分ならまだしも、まだ小さな子どもがいる場合、子どもの写真がそこに載っていることが半ば義務のようになっているきらいがある。子どもが載っていない場合、親戚のおばさんや両親なんかが露骨に嫌味を言ってきたりする。こちらもなるべくなら正月から嫌な気分にはなりたくないのだけれども、あのフジカラーみたいなテンプレートの年賀状を作るのが嫌で嫌で、毎年デザインに趣向を凝らした、でも写真の入っていない年賀状を作っていた時代もあった。我ながら若かったし、突っ張っていたと思う。
 
5〜6年前に、そのコンセプトを変更せざるを得ない事情が発生した。
1つは娘が生まれたこと。なんせ生まれた直後から長いこと入院したりしていたので、おじさんやおばさん以外の人々に随分と心配を掛けていたわけです。その近況を知らせるのは、半ば義務的な意味合いを帯びてきていたのだけれども、もちろん知り合い全員のところまで新年のあいさつをしに行くわけにもいかない。そんなわけで、年賀状という媒体を通じて近況をわかりやすい形で伝えるのが一番の近道だった。
そして、それとほぼ時期を同じくして「簡単年賀状」みたいなCDが世に蔓延するようになった。この状況によって、どんなに凝ったデザインで制作しても、さらに言えば、そのクォリティを上げれば上げるほど、人々からは「あー簡単年賀状ねー」と思われる確率が高くなった。
 
そんなのってないぜ、なにを楽しみに年賀状作成すりゃいいんだって状態ですよ。そうやって、モチベーション落ちまくり時代がしばらく続きます。
 
そんな中、僕自身が突如カメラにはまり、状況が一変する。
年賀状に子どもの写真を載せ、かつ凝ったデザインをオリジナルとわかるように届ける。今まで相反していた二つの要件が合致する場所ができたのです。
 
それは、凝った写真を撮影すること。
それ以来子ども達は、毎年妙な着ぐるみを着させられ、大衆の面前にさらされ、カメラマン(僕)に無茶なポーズを要求されたりするようになった。
最初の何年かは息子にものすごく嫌がられた。「こんなの絶対やりたくない」と大泣きされたりもした*1その度に泣く泣くポケットマネーからDSのソフトを買ってやったりしてなだめた。
 
そんな息子だったが、年賀状の評判が良いことに味をしめたのか、ここ二年は気味が悪いくらい協力的だったりする。口では嫌だとも言うのだけれども、僕が年賀状の構想を話すと「ここはこうした方がいいんじゃないの?」などとアドバイスをしてくるようになった。そしてまたそれが的確なのだ。・・・的確っていうと少し違うな。あまりにも突拍子もない面白いアイデアを出すので、思わず採用してしまうの。たとえば去年の年賀状なんて、息子の一言からはじまっている。うちの息子はたぶん、ちょっと変なやつだ。
 
まあ、付き合ってくれるのも小学生のうちだろうから、このシリーズもあと1年かな〜と思っている。いやでもしかし、今年もまた秀逸な一枚になったと自我自賛しちゃいます。息子への謝礼を含めると、この一枚に福沢さん一人じゃ足りないくらいの費用が掛っていたりするけれども、人々の中に強烈なインパクトを遺せるのであれば、それだって安い買い物だ。
 
 
なんて、前置きがすっかり長くなってしまったけれども、これが今年の一枚。

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

*1:この年、息子は東武デパート船橋店の屋上で、猫の着ぐるみを着させられ、ねずみの着ぐるみを着た娘に襲いかかるシーンを要求された。