かっこいい大人

なにかで迷ったときには、
「昔の自分がかっこいいと思ってた大人」を
思い出せばいい。
二十歳のころの自分が理想としてた大人って
どんなだったっけって思うと、もう、すぐ解決する。
奈良美智さんが『The Apple in My Heart』の中で>

 
二十歳の頃かっこいいと思っていた大人って誰だろう?今日はつらつらとそんなことを考えていました。一人だけいた。
 
悔しいが自分の親父だ。
 
その頃の親父は、すでに50の半ばで、それ程小さくない会社の取締役だった。典型的なワーカーホリックだ。
親父の凄いところは、ただのワーカーホリックで終わらないところだ。旅を趣味にしていて、週末になればお袋と一緒に車に乗って旅行に出掛けていた。年間5万キロという出鱈目なペースで車のドリップメータが増加していたのだから、その凄まじさは推して知るべしだろう。
親父は貧乏性なのだろうと考えていた。なにせ、何もしないでいることに我慢できないのだ。
 
長い間、自分は親父とは違う、自分は貧乏性ではないと考えて来た。仕事をはじめた時だって、自分は対して頑張らないだろうと思っていた。それよりは、余暇を楽しもうと決め込んでいた。
早いもので、仕事を始めてから今年で10年になる。今の自分はどうかと言われたら、昔からは想像もできないくらい働いている。悔しいが、自分にも親父の血が流れているらしい。
 
とは言っても、常に100%の力を使っているわけではない。10年目の中堅選手は、それなりに手を抜く方法論を持っている。そして、息抜きの方法論も少しずつだけれども会得しはじめている。
 
きっと、親父もこんな風にして、適当に手を抜きながらよろしくやっていたのだろう。
 
かっこいい大人、それは「手の抜きどころがわかる奴」だと思う。逆説的に言えば「手を抜いてはいけなうところがわかる奴」がかっこいいということなのだろう。
 
自分が50に差し掛かる頃、自分は親父と同じステージに立っているだろうか?と聞かれたら、まあ無理だろうなと答えるしかない。親父は、二十歳の頃の自分が想像していたよりもずっと大きな存在だ。
 
せめて、二十歳の奴らにかっこいいと思われる大人になることを目指そう。
 
リタイアした親父は、やれ民政委員だ、やれ老人会だと忙しい。信じられないことだが、仕事をしていたころより忙しいみたいだ。
そんな親父を見ると、やっぱりただの貧乏性なんじゃないかと思わないでもない。