ただ素直に生きるために

金沢に行って、いろんなことがあったりなかったりして、そんなことをしているうちに、気がついたら今、iPodでかれこれ20年も前のアルバムがヘビーローテーション中だ。
その名はキャロル。君はファンキーモンキーベイベー。だけどかわいい俺の彼女。おどけてるぜ。永チャンやっぱサイコーやじ。タオル投げちゃうぜ。
 
あああ、ちがったちがった。そのキャロルじゃないや(小芝居)。僕が聴いているのは永チャンじゃなくて、TM NETWORKのアルバムだ。
 
前述のとおり、アルバム「CAROL」は1988年リリース。このアルバムはリリース当時、間違いなく新しい風を纏っていた。
このアルバムの特異性は、そのコンセプトにある。大人の事情でシングルカット曲がバランスを乱してはいるが、基本的にこのアルバムはその全編を通じて1つの物語をなぞっている。
実際のところ、後にこの物語は小説になりアニメになりと、メディアミックスの様相を帯びる。ストーリー自体は・・・まあ、『不思議の国のアリス』か『モモ』かと言った陳腐とも言えるものではあったものの、何しろそんな徹底的なコンセプチュアルなところが、このアルバムに凄みを与えている。
 
楽曲としても優れていると思う。少なくとも、TM NETWORKのアルバム中で最も気負った作りだと思う。端的に言えば、最も気合いが入っている。ぶれていない。
 
 
とまあ、すっかり前置きが長くなってしまったが、今回の話題はそんなコンセプチュアルなアルバムから多少外れている曲について。いわゆる大人の事情の部分。なにせ、別の映画作品の主題歌だし。
 
元々のストーリーは、少年少女のお話。自分の生きる場所を獲得するために戦う少年少女のお話。誰かから奪ったり、誰かを傷つけてまで獲得したいんじゃない。ただただ、素直に俯かずに生きるために、「自分のための場所」が欲しい。
これは実のところ、大人達も抱えている欲望だ。「自分のための場所」を、「自分と世界が共有する場所」に置き換えてみるとよく分かるだろう。欲しいのは「自分だけの場所」じゃない。欲しいのは「自分と世界が共有する場所」。
閉じこもりたいのではない。繋がっていたい。泣きたい時には泣かせてくれる場所が欲しい。そして本当は、誰かが泣きたい時には泣かせてやりたい。
 
余裕がない。本当はそうしたいしそうしてやりたいのだけれども、余裕がない。それはある意味本音であり事実だ。
 
でも。
いつか来るかもしれない「自分が泣きたい時」に誰かに胸を借りられるように、たいせつな誰かのために「泣かせてあげるための場所」は用意しておいてあげたい。そして、できるならば、一緒に泣いてあげたい。もちろん、そんな場所は誰にでも用意してはあげられないけれども。
 
今日は、この曲を聴いたりしながら、そんなちょっと青臭いことを考えていました。
 
忘れないでください。
僕はあなたといっしょに泣く準備がある。
 
 
まあ、あなたって誰だよって話ですけどね。

CAROL-A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991-

CAROL-A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991-