僕たちの時代のネットワーク・クロニクル(シリーズ3:インターネット黎明期(WEB1.0))

Takas2008-03-24

大学に入学した当初、インターネットはその黎明期を迎えていた。
大学二年生の冬に発売されたWindows 95により、インターネットは一気に爆発的な成長を遂げるわけだが、僕がインターネットにはじめて接続したのは、その一年前、大学入学時点からだ。
黎明期ではあったが、大学には学生に開放されたコンピュータルームがあり、そこにはインターネットに接続されたコンピュータが数台存在していて、そして希望者にはメールアドレスが配布された。もちろん僕は、そのメールアドレスをすぐに取得した。
 
可能性はともかく、その当時のインターネットは、簡単に言えば「マニアのための自慰的なメディア」か「学術的な目的に特化したつまらないメディア」であった。情報を発信するためのインフラは整いつつあったが、その敷居は未だ高く、一般人にはその方法論さえ分からないという状態であった。HTMLは日々進化して記述方法がころころ変わるし、今では当たり前のように使用されているビルダーソフトも、簡易版が5万円もするという有様。ホームページを構築すること自体が目的であるページがほとんどで、そのコンテンツの深化にまで達しているホームページは稀だった。WEBが真に発信の場となるためには、いわゆる「WEB2.0」の登場を待つ必要があったわけであるが、それはまた別の機会に。
 
ともかくそんな中、異彩を放っていたのが電子メール。電子メールはとても新しいツールだった。
電子メール自体は、パソコン通信の時代からあった。しかし、電子メールを利用するための敷居はとても高く、その利用料金も相応に高かった。勢い電子メールの利用者は専門的知識を持った一部の人間に限られることになる。一言で言えば、この当時のパソコン通信は、アマチュア無線と大して変わらないノードであったのだ。アマチュア無線パソコン通信自体を卑下するわけではないが、一般に開かれていない以上、今一価値を見出せなかった自分は手を出す気にはなれなかった。
 
そこで電子メール。
電子メールは、手紙よりも大袈裟でなく、電話よりも一方的でないツールである。電話と手紙の良いところをあわせたようなツールである。その取り扱いは、そのどちらよりも手軽であった(もちろん、コンピュータが使用できるというのが大前提であったわけだが、その問題はパソコンの普及とともに解決した)。
世の中には「手紙を送るほど大したことじゃない話」と「電話をするほど仲良くはない人」というのが存在していて、でも、「電話をするほど仲良くはない人」と「電話をするほど仲良く」なるためには、「手紙を送るほど大したことじゃない話」を繰り返す必要があったりする。そういう関係は今まで、例えば学校で例えば職場で、物理的な接触の中で構築する他に手段がなかったわけだが、電子メールの登場は、この前提を見事に崩した。少なくとも、僕にとっては。
そうやって、電子メールから仲良くなり、「電話をするほど仲良く」なった人が何人もいるわけで、大抵の場合その人たちは、僕の人生においてとても重要な位置を占める存在になっている。電子メールを発明した人にはノーベル平和賞を授与すべきだと真剣に思う。頭が上がらない。
 
今日の結論。

電子メールは、人の出逢いを隔てる物理的な隔たりを取り払った。