非現実的な夢想家として

僕の仕事の種であるコンピュータシステム開発では、ろくにビジョンを持たないままに開発を誰かに丸投げし、出来上がったものを批評したり、時には批判するような態勢で望んだシステム開発は、ほぼ間違いなく失敗します。
これはコンピュータシステムに限ったことではないでしようし、この手の失敗はいっぱしの社会人なら嫌という程経験していると思います。言うまでもなく、そういう失敗が続けば、会社は間違いなく倒産します。そのことがわかっているから、サラリーマンは必死で考える。そうやって社会は動いています。


さて、下記リンクにあるスピーチを見てください。
これは6月9日、スペインカタルーニャ国際賞授賞式で、村上春樹が行ったスピーチの全文です。とても長いので覚悟してください。

非現実的な夢想家として


最初この記事を見たのは、とある方のリツイートでした。ツイートされた方は所謂「原発推進論者」で、彼のスピーチと、彼自身を激しく糾弾していました。気になって方々を巡回してみると、このスピーチを取り上げ意見を述べている方がネット上にも散見されます。そして、その大半は、「だから原発はいらない」「いやいや原発は必要だ」という二元論に終始しているように思います。


僕は、村上さんがこのスピーチで言いたかったことが、ちゃんと見ている人々に伝わっていないんじゃないかと思っています。村上さんのスピーチの中には確かに、原発廃止のメッセージが含まれていますが、彼が本当に表明したかったのは、そこではないように思えて仕方がないのです。
それはタイトルとして掲げた「非現実的な夢想家として」という、ある種自虐的なフレーズの意味を考えればわかることです。スピーチ原文の中で、このフレーズを探してみてください。
村上さんは、これからの日本国民が「非現実的な夢想家」であることを求めているというよりは、過去の日本国民が「非現実な夢想家」でなかったことを恥じるべきだと言っています。
今回の事故は、広島・長崎への原爆投下により、原子力の恐ろしさを十分に理解し、反省していたにもかかわらず、原子力を推進する人々の論理すり替えを許してきた我々日本人の倫理と規範の敗北であったと。原発反対を表明する人々に「じゃあ、電気はいらないんですか」という脅しをかけられるような”既成事実”を作らせてしまった我々日本人の敗北であったと。


この後、これからの日本人について、「非現実的な夢想家」であるべきだと語られていますが、それを僕は、過去の過ちに対するおとしまえをつけるべきだと言っているように捉えました。そしてこれはきっと、過去に対する自分自身だけでなく、今回の事故で現実的な被害を被らせてしまっている近隣諸国をはじめとする世界各国に対するおとしまえという意味も含まれていると思います。


議会制民主主義であれ、大統領制であれ、議員も総理大臣も(大統領も首長も)、我々日本人が選んだ代表選手であるというのは、自明の理ではないにせよ建前です。原発を語る時、日本人の多くは「騙された」という表現をします。でも今回、その甘えた意見は通用しないと僕は思います。なぜなら、今回の問題は日本だけの問題ではなく、世界を巻き込んでしまったからです。
今回の事故は、総理大臣でも東京電力でも国会議員でもなく、日本が起こしたものであり、我々が日本人である以上、僕たち日本人が背負わなくてはなりません。代表選手に問題があったのであれば、それを選んだ日本人に責任があると思うのです。


それに気づかない限り、また同じ過ちが繰り返されるでしょう、と村上さんは言っています。僕もそう思います。


冒頭のコンピュータシステムを例に取れば、国家は僕たちのサービス提供者じゃなくて、国家運営業務を委託している外注先です。本当に駄目な外注は切ればいいけど、駄目な外注を雇ってしまった自分を反省しなければ同じ過ちを繰り返しまう。反省なき外注切りは、いつしか外注への責任転嫁という甘えの構造を作り、気がつけば外注が駄目なんじゃなくて、駄目な外注を量産しているのが自分自身なんて事になる。
会社にも、必ずプロジェクトを難航させる人がいませんか?その人は外注の責任を声高に語りませんか?でも、他の社員は、本当の責任が誰にあるか気づいていますよね?その人をかっこわるいと思いませんか?


今の日本は、駄目な外注を量産しているように思えてなりません。外注が駄目なんじゃなくて、外注を駄目にしているのが日本という会社の実態です。


僕自身、まだこれから日本をどうして行けば良いのかについてのアイデアはありません。好むと好まざるとに関わらず、僕たちは原子力エネルギーを前提とした世の中に生きていて、困った事に僕の仕事は電気がないことには全く成り立ちません。
でも、これからの日本を真剣に考えて行く時、もう誰かのせいにだけはしないようにしたいと思っています。国が抱える問題を、僕たちは僕たちの問題として考えなければならない。僕たちの代表がおかしなことを言ったらちゃんと反論しなければならない。でも、それが今までのような無責任な批評ではいけない。僕たちは、将来を見据え、血を流す覚悟を持ち、その上で到達点への主体的な、一人称的な、そして明確なビジョンを持っていなければならない。


会社経営がそうであるように、プロジェクト運営がそうであるように、たぶん簡単な答えなんてどこにもないんでしょう。でも、答えを探し、もがいてのたうちまわらなければ、ベターチョイスすら思いつけない。


日本という会社は、今そんな状況にあるんだと思います。描くゴールが事業の推進であれ、撤退であれ、社員がちゃんと考えないと、潰れちゃいます。僕はちゃんと考えます。皆さんもそうであれば良いと思います。